2006年01月11日

ファミレス社員 〜導入編〜

 今日は、私の前職の「ファミレス社員」時代について、少しお話しします。
ファミレス社員はちょうど5半ほど勤めました。もう1年位頑張れば店長になれたのでしょうが(そう思いたい私の願望)志半ばで退職&転職致しました。
ここではまず、その会社についての概要、入社までのいきさつについて少し語らせてください。

 北海道に生まれた私は、大学も北海道でしたが、出身はド田舎のため、大学時代から親元を離れ、独り暮らしをしていました。大学4年間は、今思えばとても有意義なものでした。というか、特に大学3年の後半から卒業までが私の28年の人生の中では一番、自分が輝き、自分の好きな事をしていた時代です。
 大学と言っても北海道でも3流大学。救いといえば「4年生の大学の卒業」と言う、肩書きがもらえた。大学時代という一番自分の好きな事に全力を注げる時間をもらえた事。その、経済学部の大学のキャッチフレーズは「1周遅れのトップランナー?!」。
学力は低いが、その分、他の何かでトップをひた走ろうと言う思いから、某教授(今は学長になったらしい)が講義の時に良く言っていた言葉です。(私が入学する数年前は○○レジャーランドと言われていたほど、入学の容易な大学でした。私が入学の時は倍率は10倍そこそこありましたが‥)
 私は、途中で挫折する友達が出る中でも、真面目に大学に通い、3年終了時には、卒業に必要な124単位を取得していたと思います。今、考えれば、大学っていいですよね。「優・良・可・不可」の4段階で「不可」以外は単位をもらえるのですから‥私は成績は良くないものの、単位を取りこぼす事はごく稀でした。ですので大学4年生の時は(卒論も不要な大学でしたので)就職活動&サークル活動に専念出来、サークルでは友達にも恵まれ、今のかみさんにも出会い、とても順風満帆な生活を過ごしていました。1年生の時から自治会(学生会)に入り、大学3年の時にそこで出た話しの中で、「大学の活性化」という議題が大学教授や事務職員から問題提起されました。(私が入学した時が受験者数MAXの時代で、その後、少子化に伴い、学生数減少の一途を辿っていたからです。「大学の活性化」で教授から出た提案は当時(今もかなぁ?)北海道でとても盛り上がっていた「YOSAKOIソーラン祭り」へ大学チームを作っての参加でした。結果まとめると、大学からの特例金300万円もらって、私が4年生の時に、総勢30名弱ですが(チームとしてはぎりぎり最小の規定数を集めて)札幌の「本祭」に参加しました。これが私にとっての輝かしい(自慢になるのかな?一応創設者でその後、7年ほどはこのサークルは存続したらしいですが‥)実績です。私の居た旭川では、純粋な大学チームは異例で他の社会人チーム(100名規模)の方と、代表者として肩を並べて旭川を中心とした「上川中央支部」のチームとして登録されました。
 前置きが長いですね。本題の就職活動について語りましょう。

 当時、個人のラーメン屋でバイトしていた私は(そこの店長「マスター」と呼ばれていた方がとてもよい方で)接客業に関心を持つようになりました。特別資格(社会科の教員免許は取得しましたが‥)も無い私は、最終的には、北海道では有名な「ホーマック」(当時業界8位、現在は合併を重ねて業界1位のホームセンター)と「びっくりド○キー」(北海道に本社を置く、業界10位以内の大手ファミレスチェーン店)の2つの内定を頂きました。当然、大学も両親も「ホーマック」への入社を希望していました。が、私は、就職活動の中で、「より自由で親しみ」のある、ファミレスへの入社を決めました。理由の半分には「若いアルバイトさんが多いほうはファミレスだろう」という曖昧な理由もありましたが、どこか社風の中にも「親しみ」のあるファミレスの方を選びました。(しかし、「親しみ」という面では、私の選択は間違ってはいなかったと今も核心しています)
 正直、人事の方には少し「冷たいな」と感じるところがありました。今、考えると、田舎で公務員(自衛官)の父親を持つ私にとっては、全国規模で民間企業として勝ち残ってきた人事担当の方には少し「冷たさ」を感じたのかも知れません。しかしそれは生き残るための自分を守る術を持った、企業人として当然必要なスキル「強さ=冷たさ」だという事は、入社後、おいおい解る事になります。(てか、私があまりにも田舎育ちのハナタレ坊やだったのかも知れませんね)
 そして、入社を3ヶ月位前にしたころだと思います。その人事の方に「勤務地の希望はありますか?」と問われた際に、最終面接でも「希望無し」と言っていた私は、当然「どこでも構いません」と言いました。北海道採用が約30名ほどだったでしょうか?その半数以上が「北海道を希望します」と言っていた中で、私はあえて「どこでもOK]と言いました。半分は勤務地を希望する事によって、内定が無くなってはしまわないかという不安、しかし半分は「広い世界を見るには今(若いうち)しか無いと本気で思っていたからです。
 
 正直、この答えは今になっても正解だったかどうか‥今の私の人生の中では答えが出せないものです。(だって、中学・高校・大学と、築き上げてきた友達関係が、距離が離れる事により、どんどん、どんどん薄くなり、今では正月に年賀メールが来るだけ。辛い事を打ち明ける友達の存在が今ではまったく無くなってしまっているからです。上京後の人間関係に悩んでいる方でしたらご理解頂けると思います)

 そんなこんなで私が配属が決まった場所はその会社での「関東チーム」(北海道・東北・関東・関西・九州チームのうち)でした。会社社員の半数近くが北海道に居る会社です。関東チームとは、当然競合店が一番多いエリアで、勤務形態も北海道チームの様に拘束9時間の安定したエリアとは正反対の地域と気付くのは、入社後半年以上経ってからの事でした。
 最初の勤務地は「東京都狛江市」。右も左も解らない場所で、知人も誰も居なく、まったく0からのスタートの仕事を始める事になった私の、関東進出の第一のスタートでした。
posted by けいんぱぱ at 00:05| Comment(1) | TrackBack(1) | 昔のお仕事(ファミレス社員) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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